巽 益章氏>松阪牛一頭・食ロスゼロ戦略から 大阪と世界をつなぐ玄関口をめざす。

牛肉好きが多い大阪で、松阪牛を一頭仕入れて使い切る飲食業に挑戦し、 焼肉、サンドイッチ、弁当、居酒屋と幅広く展開するまでに成長。 世界中の外国人観光客から絶大な支持を得るサービスの理由、 そして、巽社長が描く大阪の未来像とは。

ファッション業界から 経験ゼロの飲食業へ

経験ゼロで飲食業に飛び込んだ巽社長は、松阪牛を一頭仕入れて扱う「Mの焼肉」福島本店を2004年にオープン。2年後には法善寺に2店舗を増やし、2010年には一頭ムダなく使い切るために開発した「中之島ビーフサンド」が大ブレイク。現在は、厳選した松阪牛を年間100頭以上仕入れ、牛なべ店や居酒屋など10店舗を展開。宅配弁当やドッグフード事業にも着手する、年商15億円の企業経営者となった。  前歴は、ファッション業界。出発点は本町の小さなプロダクションで、「洋服の企画デザインから、広告、マーケティング、イベント運営まで、7年間修行させてもらった」という。30歳のときに神戸ファッションマートから誘われて、ファッションブランドのデザイナー育成やプロモーションといった裏方の仕事に従事。若手デザイナーを育てて、東京やパリ、ニューヨークのコレクションに出すという当時のプロジェクトは、いまや日本最大級のファッションショーとなった「神戸コレクション」の礎ともいえる。 ファッション業界から身をひいたきっかけは、阪神・淡路大震災。「ファッションは、時代を表現する感性のビジネス。このまま40歳になって、時代を把握できずにやっていきたくなかった。自分の限界を感じたのも事実だが、ファッションが好きだからこそ後進に任せる決断をした。震災から、立ち止まって考えるチャンスをもらった」。

松阪牛一頭を使い尽くす ビジネスモデルを考案

つぎの仕事は、自分が一番苦手なものを選ぼう」と考えた巽社長は、アルバイトの経験すらなかった飲食業を選択。料理は素人だから、お客様に調理してもらえる焼肉が最適。松阪牛を選んだのは、松阪牛が東京市場向けで、大阪市場にほとんど入ってこないから。「聞いたことはあるけど、食べたことがない。でも、食べてみたい!」というニーズに気づき、「誰も松阪牛だけでやっていないから、ブランディングを活かせば専門店としてやっていける」と考えた。 松阪牛の生産者と直接交渉するため牧場へ出向くが、素人と見透かされてしまい、「売ったるけど、どの牛が欲しいねん」と言われる。「余ったら自分で食べたらええわ!」と意地になって一頭買いすることになったが、これを機にさまざまな商品をつくって骨まで利用する「食ロスゼロ」構想が浮かび、松阪牛を適正価格で提供するビジネスモデルにつながった。 当時は牛肉偽装事件と狂牛病問題の真っただ中だったが、それも逆手にとった。「食肉のプロは事業を控え、閉店した店も多くて物件が豊富。真面目に商売をすることが評価されるとき、攻めるならいまや」。一号店の福島本店は、JR神戸線の電車や、なにわ筋から「松阪牛焼肉」の大きな看板が見える立地。一本でも道がはずれてたら出店していなかった。松阪牛の高級感を払拭するため、若い世代が通いたくなるネーミングでほかの焼肉店と差別化。ファッション業界で培ったブランディングとマーケティングの力を発揮することができた。

ハンバーガーの失敗から 中之島ビーフサンドを開発

僕はこもって考えるよりも、街をブラブラ歩いてリサーチしたり人間観察するのが好き」。だから、お客様の求めるものと自分のアイデアが最終的に合致するという。 焼肉で使わない部分を商品化としようと、最初に考案したのが「中之島バーガー」。松阪牛100%にこだわり、バンズも一流ホテルが朝食に出すような良質なものを使用して、価格は680円。販売場所は、本社1階で営業していた焼肉店の前面スペースで、キッチンは最低限の仕様。なのに、予想外にヒットしてしまい最長4時間待ちの事態に。「ファストフードやのに、なんでこんなに待たなアカンねん!」とクレームが殺到した。 このピンチを乗り越えるため、今度は冷めてもおいしい「中之島ビーフサンド」を開発。さらに、1000円以上に価格設定したサンドイッチが売れる場所はどこかと考えた。「出張や旅行といったショートトリップに、ちょっと高くてもおいしいものを食べたいというお客様の高揚感と、プレミアムなビーフサンドが合致する環境が、JR新大阪や京都の新幹線駅構内、そして伊丹空港だった」。松阪牛が100%の「中之島ビーフサンド」は累計販売個数150万個を売り上げ、新しい大阪土産になった。

口コミサイトで第一位受賞 外国人に人気のレストラン

「中之島ビーフサンド」を販売開始し た2010年。梅田の開発は進むが、ミナミの人通りはリーマンショックのあおりを受けてピタリとやんでいた。まだ、インバウンドという言葉も浸透していないころだったが、外国人観光客の数は徐々に増えてきていた。待っていてもお客様は来ない。それなら、「大阪に来てくれた外国人におもてなしをしよう」という声があがり、「松阪牛焼肉M法善寺横丁店」の英語が話せるスタッフたちは店の外に出た。 界隈で食事先に困っている外国人観光客がいれば、「うち焼肉店なんですけど、良かったら来てください」と声をかけて店まで連れてきた。ホテルにお客様がいれば迎えに行き、食べ方がわからなければ教えてあげるなど、それぞれのリクエストに丁寧に対応。その結果、世界の旅行口コミサイト「トリップアドバイザー」で「外国人に人気の日本のレストラン」第一位(2014年)を受賞。その後も一貫して高く評価されている。 「外国人観光客へのメニューの説明だけで30分経っていることもあるが、それをムダとは思わない。英語が話せるスタッフが増えて、彼らの自信につながっている」と、おもてなしの心だけでなく、スタッフのモチベーションアップも忘れない。

チャンスを与える人材育成で 社員が辞めない会社

「根っから人が好き」と公言する巽社長のもとには、人が好きな社員やアルバイトが集まる。「やってもらってうれしいことを、自分もやってあげようと思う輪のなかで仕事をするからストレスがない」。事実、社員は長く勤め、留学生アルバイトも辞めるときは代わりの人を連れてくるので、人手不足で募集をかけることはほとんどない。 また、メニュー会議や試食会議に出ないのは、社員にとって一番楽しい時間だから。それよりも、雑談のなかでデータの裏付けのあるヒントを出し、「こういうことですか?」と確認してきたら、「そうそう、その通り」と、自分のアイデアに置き換えてあげる。自分のアイデアとなったら一生懸命考え、それが会議でOKをもらえたときに大きな自信になるからだ。

世界中から人が集まる チャンスのある街に

東京では広尾と二子玉川に出店するも、リーマンショックで全面撤退するという苦い経験もした。今後は大阪でフィールドを広げていきたいと思っている。 「 “食”で大阪の街を活性化したい。そして、大阪を世界中から人が集まる“世界都市”にしたい」と意気込む巽社長。他店も紹介する「NAMBA MAP」を自社製作したり、外国人観光客に「また来たい!」と思ってもらうサービスに取り組んでいるのは、焼肉チェーンを広げるためではない。ライトハウスが世界中から人を呼び込む、玄関口のような役割を担えたらいいと思っているから。 「大阪がチャンスにあふれる街になれば人が集まってくる。そのために、僕もプロの経営者として、大阪でできる事業をどんどん広げていきたい」。未来を見据える巽社長には、すでに新たな構想が浮かんでいるようだ。

Follow me!