若林 克彦 氏>東大阪から 「ネジ」で 世界へ

絶対に緩まないネジ『ハードロックナット』。 開発から約43年。日本のインフラを支える唯一無二のネジとして、 圧倒的な存在感を誇る製品となった。 東大阪市に本社と工場をかまえるハードロック工業株式会社の 代表取締役社長若林克彦氏に話を聞いた。

絶対的な安全が 求められる場所で

ードロックナット。その真価を示すエピソードがある。2011年3月11日、8割がた工事が進んだ東京スカイツリーを東日本大震災が襲った。タワーの天辺は大きく左右に揺れ、作業員たちが振り回された。タワー内に使われているハードロックナットは数十万個。全て締め直しかと思われたが、下から上までひとつのネジも緩んでいなかったという。 同社のネジは瀬戸大橋や明石海峡大橋、高速道路や原子力発電所など絶対的な安全が求められる施設や設備に使われている。供給先の約3割を占める鉄道もしかり。東海道新幹線の車両にはハードロックナットが16両一編成に約2万個使用され、長きに渡り安全安定輸送に貢献している。最近では海外からも注目され、英国や台湾の鉄道、アメリカNASAのロケット発射設備に使われるなど、その名をとどろかせている。 そんな同社の本社工場には、関西を始め、日本全国の中小企業の経営者たちが見学に訪れる。若林氏はその見学者たちを前に、ハードロックナットの開発秘話や同社の歴史、自身の哲学などを話すのだという。「私たちは絶対に緩まないネジ、ハードロックナットをマーケットに出してお客様に喜んでもらう。その一心で開発をやってきました」と。

同社のネジは Uナットから始まった

大阪のエジソン〟とも呼ばれる若林氏は今年85歳。少年の頃から発明が好きだった。10歳のころには農作業で腰をかがめる女性たちのために自動種まき機をつくり、喜ばれた。かまどの火をおこす火吹き竹をモーター付きの送風機に変え、ご飯の炊きあがりを格段に早くした。困っている人を助け、不便を解消するためにアイデアを出して形にする。それが若林氏のものづくりの原点だ。 1961年、そんな若林氏が会社を立ち上げた。ハードロックナットが生まれる前のもうひとつの緩まないネジ、Uナットを開発し、販売するための会社である。 「私と私の弟を含め3人で始めた会社です。最初は飲まず食わずと言えるような生活で給料もなし。よくついてきてくれたなと思います」 ネジの卸問屋にUナットを売り込みに行くものの、「こんなけったいなもん、売れまへんで」と一蹴された。理由はJIS規格(日本工業規格)に違反していたからだ。他の問屋をあたっても答えは同じ。 「私以外の2人は『もう、やめたほうがええんとちゃいますか』と弱気でしたが、退路を断ち、2人を引き込んだ責任のある私は『今やめてどないすんねん』と自分を鼓舞し続けました」 その後、販売先を問屋からエンドユーザーに切り替えたものの、2、3ヵ月たっても一向に反応がない。「さすがの私もこれだけやって結果が出ないのだからと後ろ向きになりました」。そんな時に一本の電話が入る。無料サンプルの箱を置いてきたある会社から、もう一箱持ってきてほしいと注文が入ったのである。当時、単価19円のUナットが50個入って約1000円。同社のネジが初めて売れた瞬間である。「会社に戻って『売れたで!』と言ったら、弟が『作り話やろ』と笑うんです。皆、半信半疑です」 無料サンプルをあちこちに配り種まきを続けたこと、省力化と合理化で製造工程の効率化が求められる時代の流れなどが重なり、手間のかからないUナットに注目が集まり始めた。「ありがたかったですね」。しかし、そんな好機もつかの間、〝緩まないネジ″と広告にうたっていたUナットが緩み、機械がはずれて付近にいた作業員が怪我をするという事故が発生。このことで若林氏の会社は数千万円の損害賠償を支払うことになった。

絶対に緩まない ネジの誕生

境に追い込まれた若林氏は「今度こそ、どんなことがあっても緩まないネジを開発しよう」と再び挑戦を始めた。なにかヒントはないかと近所の住吉大社にふらりと出かけたある日、鳥居のクサビを見てひらめいた。「これや!」。クサビとは古代から伝承されている建築道具の一種で、物と物の継ぎ目に打ち込むことで、2つのものを固くつなぎ合せる機能を持つ。「クサビをボルトとナットの隙間に打ち込めば、今度こそ絶対に緩まないネジをつくれるのでは」。若林氏はそう直感した。「思いついた時は本当にうれしかった」と、その瞬間をありありと思い浮かべる。 ハードロックナットの原理はこうだ。上下に分かれたダブルナットは凹型と凸型で、下側の凸型はネジ穴の中心を少しずらして偏心構造にする。ボルトに凸型ナットを通し、上から凹型ナットを締め付けると、凸型ナットの偏心箇所が凹型ナットの内側に接触しさらに締め付ける。その結果、ボルトに凸型ナットが軸直角方向から押さえつけられる。上下のナットでクサビをすき間に打ち込んだ状態となり、振動や衝撃に対して「戻り回転」しないネジができあがる。絶対に緩まないネジ『ハードロックナット』の誕生だ。ハードロックナット断面イメージ 若林氏は「うれしさのあまり、それまで何年もかけて育てたUナットを共同経営者に譲ってしまいました」と話す。わずかなロイヤリティを受け取るだけで、Uナットの販売権、生産設備、人材に至るまでの資産をすべて手放してしまったのだ。 「ハードロックナットに専念したかったんです。二兎追うものは一兎をも得ず。どっちつかずになる。それではあかんと思いました。家内には呆れられましたが、『2つやる必要あらへんやんか。振り出しに戻るだけや』と説得しました」と若林氏。 「自分で考えたものをマーケットに出す。言うたら趣味みたいなもんですわ。受け入れられるかどうかはマーケットが実証してくれる。いいものであれば、必ずお客さんが受け入れてくださるんです」

心の状態が 形(品質)となって現れる

月のように見学者が訪れる本社の会議室には同社の基本理念が掲示されている。そのひとつが「心豊かな創造性を磨き、無から有を生み出し進展させる」という一文だ。「無から有を生み出し進展させる」の意味を若林氏はこう解説する。「無はアイデア、知恵、考え方などの形のないもの。有はカタチ。つまり形のないものを形のあるものに置き換える。そしてそこにお客様が喜ぶ付加価値をつける。それが進展です。無から有を生み出すだけでなく、お客さんが好むような形にしなければ商品は受け入れられません」。さらに、「中小企業も大企業も形ばかりが中心になっている。それでは不十分。心(無)と形(有)は両輪です。心の状態がいい加減だと形もいい加減になる。心がしっかりしていたら、その土台の上にしっかりした形が成り立つ。形だけにとらわれて心を二の次にしたら、いつまでたっても不安定なままです」。若林氏はそう言って、その違いを「不動心」と「浮動心」という言葉に例える。 「世の中にはコピー商品が出回っていますが、コピー商品をつくる人はちょっとくらい不良品が出てもいいと思っている。不良品を出したら大変なことになると考えている人とは、考え方の根本が違うんです。つくる人の人間性は必ず品質となって現れます。商売ですから利を求めるのは当然ですが、お客様に喜んでいただくことを考えず、儲けることだけを考えるのは邪な考え。邪は邪を呼び込みますよ」 また、若林氏は商売のあり方を「たらいの水」に例えて説明する。「たらいの水を自分のほうにかき寄せたら、水は手前に流れてくるように見えますが、実際は向こうに逃げていきます。反対に向こうに押し出せば押し出すほど、水はこちらに戻ってきます。商売はこれと同じ。欲をかいて自分の利益ばかりを考えていたらみんな逃げていく。反対にお客様や社会に喜びを与えれば与えるほど、あとで自分に返ってくるんです」。大企業、中小企業、零細企業等の規模に関わらず、経営者はすべて心の眼を開き、心の状態を正しく保たなければよい結果が出ない。形だけでは不十分。心だけでも形にならず。その両輪のバランスを取ることが良いものを生み出し、そのエネルギーがまた次のものを生み出すというのが若林氏の信念である。 見学者たちはそんな話を熱心に聞く。韓国など日本の中小企業に関心を持つ海外からの見学者にも評判がいい。 「仏教的哲学などの感覚を身につけて活かす。人間はそういうものの後押しが要る。自分一人の力はたかがしれていますから」

東大阪から世界に向けて

ードロックナットの開発から約43年。若林氏は今後、何を目指すのだろう。「せっかくここまできたのだから、今後は海外へもっと進出していきたい」。英国では鉄道全線のレールの継ぎ目に同社のハードロックナットを使う10年計画が今年からスタートする。日本の新幹線の技術がそのまま使われている中国や台湾の鉄道にも同社のネジが使われている。 一方で課題も口にする。最近、大阪府内では地震、台風、記録的大雨など災害が相次いでいる。生産拠点が東大阪一か所に集中する同社では、災害時に供給がストップするリスクを抱えている。「供給先の企業から、万一本社が機能しなくなってもきちんと供給できる体制をつくっといてほしいと言われています。安全なところに社員を移動して、同じことができる体制をつくらなければならない」。それだけ同社のネジが重要な施設設備に使われていることを示している。 東大阪の地で事業を始めて30年。大阪のものづくりの歴史の一部を担ってきた。「大阪には中小企業が独自のアイデアと力でがんばる一匹狼が多いんと違いますか。縦横のつながりが少ないぶん、ピンチになっても自力でやっていく強さがあると思いますよ」と大阪を語った。